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岐阜地方裁判所 昭和61年(行ウ)12号 判決 1988年7月04日

原告 安田則夫

被告 岐阜刑務所長

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し、昭和六一年七月二五日付けでした霧生企画「ワーラー」編集部霧生正博に対する別紙作品目録記載の原稿の投稿出願不許可処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、岐阜刑務所在監中の受刑者であり、被告は岐阜刑務所長である。

2  原告は、その文芸活動の一環として、霧生企画「ワーラー」編集部訴外霧生正博(以下、単に「霧生企画」ともいう。)の発行する雑誌「ワーラー」(以下「ワーラー」という。)に投稿するため、被告に対し昭和六一年六月一六日付けで、別紙作品目録記載の原稿の下書き(以下、単に「本件下書き」という。)を提出し、右原稿の投稿を出願したが、被告は同年七月二五日付けで、右投稿出願を不許可にする旨の処分(以下「本件不許可処分」という。)をした。

3  しかしながら、本件不許可処分は、以下のとおり違法である。

(一) 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は憲法二一条によつて何人にも平等に保障されているのであるから、受刑者といえども表現、出版の自由が最大限に保障されなければならず、したがつて、受刑者の外部投稿もまた保障されるべきは当然であるところ、被告はその裁量権を濫用・逸脱して違法に本件不許可処分をし、原告の右投稿の権利を侵害したものである。

(二) しかも、本件不許可処分は、なんらの理由を付されることなくなされたものであつて、この点においても違法がある。

(三) また、被告は、投稿出願後約四〇日を経過してから本件不許可処分を行つたが、右は他の受刑者の発信出願の許可手続に比して著しく遅延してなされたものであつて、本件不許可処分に関してのみ差別的取扱いがなされたものといわざるをえず、被告がその裁量権を濫用・逸脱した違法がある。

4  よつて、原告は、本件不許可処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の各事実はいずれも認める。

2  同3(一)ないし(三)の主張はいずれも争う。

三  被告の主張

1  本件不許可処分に至る経緯

(一) 原告の岐阜刑務所への入所経緯

原告は、昭和四六年二月一〇日、現住建造物等放火、窃盗等の罪により、東京地方裁判所において懲役一二年の刑に処せられ、千葉刑務所に服役し、同五九年六月一九日、同刑務所を出所したが、同五九年一二月一四日、殺人罪等により千葉地方裁判所において無期懲役刑に処せられ、千葉刑務所に服役し、同六〇年一月二五日、岐阜刑務所に移入して服役中のものである。

(二) 原告の外部投稿出願の経緯

(1) 岐阜刑務所においては、受刑者の外部投稿に関し、投稿を希望する受刑者に投稿種目、投稿先の所在地、社名、代表者名を記載させた願せんを提出させたのち、原稿の下書きを刑務所指定の用紙に記載させて提出させたうえ、被告がその内容等を検討し、外部投稿の許否の判断を行うこととされている。

(2) 原告は、昭和六一年六月三日付けで、原稿用紙使用及び投稿手続の教示方を出願したので、同月九日、同刑務所教育課長訴外大淵朋彦が原告に対し、投稿の目的、内容及び投稿先を明確にするよう指導したところ、原告は、同月一一日付け願せんで、霧生企画「ワーラー」編集部霧生正博宛に評論等の原稿を投稿したいとして、下書き用紙一二枚の交付を出願したので、同月一二日、原告に対し、これを交付したところ、同月一六日付けの被告宛願せんで、別紙作品目録記載の作品を記載した下書き用紙一二枚を提出し、その投稿を出願した(以下「本件出願」という。)。

(3) そこで、被告は、本件出願について検討を加え、昭和六一年七月二二日原告の本件出願を不許可とすることとし、同月二五日原告にこれを告知したものである。

2  本件不許可処分の適法性

(一) 受刑者の外部投稿について

集会、結社及び表現の自由は、憲法二一条において保障される基本的人権であるが、右基本的人権といえども無制約のものではなく、公共の福祉に反しない限りにおいて国政上最大限に尊重されるというにすぎない。

これを受刑者についていえば、国の刑罰権の行使は憲法も予定するところであり、また、懲役囚に対する刑の執行目的実現は公共の福祉のため必要であるから、受刑者の右基本的人権の保障も、刑罰権行使に必要な範囲と限度で制限されてもやむを得ないものというべきである。

しかして、受刑者の著作物の外部投稿ないし外部発表は、憲法二一条にいわゆる表現の自由に含まれるが、右外部投稿ないし外部発表もまた刑罰権行使に必要な範囲と限度において制限されることのあることは右の理からして当然である。

他方、受刑者の著作物の外部投稿ないし外部発表については、現行監獄法令上明文の規定がなく、刑務所長の裁量に委ねられていると解せられるところ、実務上は、受刑者の外部投稿出願がなされた場合、刑務所長が、その内容が施設の管理運営上支障がなく、かつ受刑者本人の矯正教化上有益であると認められるときにこれを許可する扱いである。

(二) 本件不許可処分の理由について

被告が、原告の本件出願につき、不許可とした理由は以下のとおりである。

(1) 被告は、本件下書きの内容を検討するに先立ち、霧生企画に電話照会し、ワーラーの発刊の有無を調査したところ、霧生企画においては昭和六〇年六月からワーラーを休刊中であつて、その後も発刊の予定はなく、原稿を受け付けていないことが判明したため、本件投稿の必要性が認められず、その内容を検討するまでもなく投稿不相当と判断した。

(2) 次に、被告は、念のため、本件下書きの内容についても検討を加え、外部投稿として許可する必要性の有無につき判断したが、以下のとおり、本件下書きは、かかる必要性を肯定できないばかりか、かえつて、原告の矯正教化上有害であり、かつ施設の管理運営上重大な支障をきたすと判断された。

(ア) 本件下書きは、評論部分と俳句、短歌部分とに大別することができるが、右俳句、短歌部分は、原告の現在受刑中の左記犯行の動機態様からしてその矯正教化上有害といわざるをえないものである。

すなわち、原告は、昭和四五年八月から同五九年六月までの間、千葉刑務所に服役中、俳句や短歌等を創作しているうち、著明な俳人や歌人は、本音と建前を使い分け、実際は俳句や短歌を金儲けの道具としているのではないか等の疑問を抱くようになり、刑務所を出所後にマスコミの名をかたつて著名な俳人、歌人に面会し、右疑問を追及しようと計画し、同刑務所出所直後の同五九年六月二四日、俳人柴田白葉女こと柴田初子(当時七七歳)に面会し、右の疑問を執拗に問い質すうち、憤慨した同女から面罵され激昂のあまり、同女を殺害したものであつて、かかる重大な犯行の契機となつた俳句や短歌について、当時受刑後日も浅く心情の安定していない原告に対し、安易に外部投稿を認めることは矯正教化上有害であるといわざるをえない。

(イ) 本件下書きの評論部分は、作家である訴外佐木隆三(以下「佐木」という。)の不誠実に対する非難を含むものであり、右部分の公表は、名誉毀損罪や侮辱罪に該当しないとしても、その内容は侮辱的かつ不穏当であつて、これを許すことは原告の矯正教化上有害であり、かつ原告の社会復帰をも阻害することにもなりかねないものである。

(ウ) 更に、右評論部分の中には、原告に対する刑務所の不当な郵便発信弾圧に対し裁判闘争を行つていく旨の記載もあるところ、右裁判闘争とは、岐阜地方裁判所昭和六一年(行ウ)第五号郵便発受信妨害排除等請求事件を指すもののようであるが、右記載は、同事件は、訴え却下の判決により原告の敗訴が確定しているにも拘らず、一方的に刑務所の処置を不当と決めつけるものであつて、施設の状況に関し、不正確であるばかりか事実を歪曲した記述であるというほかなく、これが外部に公表された場合は社会に不当な誤解を広げることとなり、施設の管理運営上重大な支障をきたすことは明らかである。

以上のとおりであるから、被告が本件下書きの投稿を不相当であるとした本件不許可処分に裁量権の濫用・逸脱はなく、これを取り消すべき違法は存しない。

(3) 信書の発信出願としての取り扱いについて

右(二)(1)、(2)のとおり、被告の本件不許可処分には、なんらの違法もないものであるが、被告は、更に慎重を期し、本件下書きを単なる信書として取り扱うことの可否について検討したが、本件下書きは、信書として取り扱う余地がないわけではないものの、以下のとおり、その発信を特に許可すべき必要性を認めることができない。

(ア) 受刑者は、親族以外の者との信書の発受を原則として禁止されており、特に必要あると認められる場合のみ許可されるにすぎず(監獄法四六条二項)、右にいわゆる「特に必要あるとき」とは、具体的事例に応じ、受刑者の矯正教化上、処遇上あるいはその権利救済上、特に必要ありと認められる場合をいい、右必要性の判断は刑務所長の裁量に委ねられているものである。

受刑者に対する右制限は、受刑者を監獄内に収容して外部との自由な交通を遮断し、改善、更生のための処遇を行い、かつ受刑者を多数監獄内に収容して集団として管理運営し、監獄内の秩序を維持するという行刑目的達成のため必要なものであつて、右目的達成のため、受刑者がその基本的人権について必要最小限度の合理的制約を受けることはやむをえないものである。

(イ) 本件において、本件下書きの発信を特に許可すべき必要性は認められないばかりか、本件下書きの記載内容が原告の矯正教化上有害であるうえ、施設の管理運営上重大な支障をきたすものであることは前記(二)(2)で外部投稿に関して述べたところと全く同様である。

よつて、本件下書きの外部投稿が信書の発信として取り扱う余地があるとしても、被告がその発信を不相当と判断したことについては何ら裁量権の濫用・逸脱の違法はない。

(三) 本件不許可処分の理由の不告知について

被告は、本件不許可処分の際、原告に対し、その理由を告知していないが、右の点は、本件不許可処分を違法とするものではない。すなわち、受刑者を監獄内に収容して外部との自由な交通を遮断し、改善・更生のための処遇をし、あるいは多数の受刑者を監獄内に収容してこれを集団として管理運営するという行刑目的上、刑務所職員が職務上あるいは職務外において知り得た刑務所外の事実等については受刑者に告知しないことを例としており、本件不許可処分においても同様に取り扱つたものである。

(四) 本件不許可処分の遅延について

更に、原告は、本件不許可処分が著しく遅延し、差別的な取り扱いになつている旨主張するが、被告は、本件不許可処分の判断のために右日数を要したのであり、違法とまではいえないものである。監獄法施行規則一三六条は「信書ノ検閲」等の手続はなるべく速やかにすべき旨を定めているが、右規定はいわゆる訓示規定であつて、本件不許可処分が仮に右規定に反していたとしても、本件不許可処分に格別影響を与えるものではない。なお、本件不許可処分の著しい遅延を理由としてこれを取り消すとすれば、被告は改めて本件出願に対して処分をすることとなり、一層の遅延を招きかねないこととなる。

四  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1(一)  被告の主張1(一)の事実は認める。

(二)  同1(二)の(1)ないし(3)の各事実はいずれも認める。

2(一)  同2(一)の主張は争う。受刑者の外部投稿は、昭和三五年一月二二日付け矯正甲五四号及び同日付け同五六号の矯正局長回答以来、実務上も、憲法二一条の趣旨を十分に尊重して、これを制約することのないよう慎重に配慮されてきたものである。現に原告は、千葉刑務所服役中、外部投稿について制約を受けたことがなく、ただ被告のみが外部投稿を制約して原告に不正、不当な弾圧を加えているのである。

(二)(1)  同2(二)(1)の主張は争う。仮に、被告主張のとおり、投稿先たる霧生企画がワーラーを休刊中であつたとしても、原告の表現の自由が最大限に保障されるべきであることは先に主張したとおりである。したがつて、原稿を受け付け、もしくはこれを公刊するか否かは右投稿先の決定すべき事柄であるから、被告がその主観的な解釈によつて、投稿先もしくは投稿先が休刊中であるという事情を考慮して投稿の許否を決定するなどということは到底許されないものであり、被告は、右の点につき、その裁量権を濫用・逸脱したものである。

(2) 同2(二)(2)の主張は争う。

本件下書きの俳句、短歌部分に関しては、被告主張のごとく、原告は、受刑後日も浅く心情も安定していなかつたのであるから、なおさら俳句、短歌、詩、評論等を書くことによつて、精神位相の安定を保持しようとしていたのであり、本件下書きの投稿が原告にとつて有害であるはずがない。

また、本件下書きの評論部分中の佐木に関する記述については、原告と同人とが文学を求め合うもの同士であつて、互いに交流を図ろうとしていることからすれば、全く問題とされることではなく、かえつて、同人において、原告の文学作品が世間に公表されることを期待しているほどであるから、被告の本件不許可処分はなんら根拠のないものである。

更に、右評論部分中には岐阜刑務所当局を批判した部分があるが、被告は、これがマスコミによつて世間に公表されることを防ぐため、あえて本件不許可処分を行つたものである。

以上のとおり、被告は、外部投稿を許可しても内容的に全く問題のない本件下書きに関し、その裁量権を濫用・逸脱して違法に本件不許可処分を行つたものである。

(3) 同2(二)(3)の主張は争う。本件下書きが信書であろうと文芸作品であろうと、その発信もしくは投稿が憲法上保障されたものであることは疑いがなく、これを制約しようとする被告の本件不許可処分は、外部投稿に関して述べたのと同様、その裁量権を濫用・逸脱したものであり、違法である。

(三)  同2(三)の主張は争う。被告は、本件不許可処分の際、合理的理由を有しなかつたため、これを告知しえなかつたものである。

(四)  同2(四)の主張は争う。岐阜刑務所においては、暴力団関係者たる受刑者の特別発信願等については一週間ほどでこれを許可しているという事実が歴然と存在し、被告及び岐阜刑務所職員が右受刑者らと不正に癒着している事実が窺われるのであり、原告が被告の右不正を指摘して岐阜地方検察庁に告発するなどして鋭く追及する姿勢を崩さないため、被告は、原告に対し、外部投稿もしくは発信の制限という不当な弾圧を繰り返し、右不正の事実の隠蔽を図つたものであつて、本件不許可処分はなんらの正当性を有しないものである。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因1、2の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、本件不許可処分の違法性の有無について検討する。

1  被告の主張1の(一)、(二)の各事実はいずれも当事者間に争いがなく、右事実と成立に争いのない乙第四号証、証人大淵朋彦(ただし、後記措信しない部分を除く。)、同松野昭治の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  本件下書きは別紙作品目録一記載の評論部分(以下「評論部分」という。)、同二、三記載の詩、俳句部分(以下「詩・俳句部分」という。)に大別されること、

(二)  右評論部分には、原告の当時の状況説明、原告と佐木との関係に関する記載とともに、岐阜刑務所当局の不当弾圧に対し裁判闘争を展開していく意思と姿勢を獄中から外部の読者に訴える記載があり、他方、右詩・俳句部分には、殺人罪で無期懲役刑に処せられた受刑者の心情を読者に訴える記載があること、

(三)  原告は、評論部分及び詩・俳句部分をいずれも文芸作品として霧生企画宛に投稿したい旨願い出たものであること、

(四)  右(二)、(三)の如き内容、表現形式、原告の意図等からみても、本件下書きは、原告の意思ないし思想内容を外部の不特定多数人に伝達する文書であつて、特定人を伝達の対象とする信書とは異なり、かつ原告の著作にかかるいわゆる著作物というべきものであること、

以上の事実を認めることができ、右認定に反する趣旨に帰着する証人大淵朋彦の証言部分は前掲各証拠に照らしたやすく措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  原告は、著作物の投稿の自由は、憲法二一条の表現・出版の自由として保障されるべきであり、受刑者に対しても右発信の自由が最大限に保障されるべきであるから、これを制限した本件不許可処分は裁量権の濫用・逸脱があり憲法に違反する旨主張するので判断する。

(一)  受刑者の著作物の外部投稿は、信書の発信と同様、受刑者と外部との交通の一態様であるが、懲役刑は、受刑者を一定の場所に拘禁して社会から隔離し、その自由をはく奪するとともに、その改善、更生を図ることを目的とするものであるのみならず、監獄が多数の受刑者を収容し、これを集団として管理する施設であつて、紀律保持の必要があることに鑑み、受刑者の著作物の外部投稿の自由が右目的のために必要最小限度の合理的制限に服することのあることはやむをえないところというべきであり、右制限が憲法二一条その他の憲法の規定に違反するものということはできない。

(二)  ところで、監獄法(以下「法」という。)は、信書の発信に関して定めているが、受刑者の著作物の外部投稿に関しては、明文の規定を置いていない。しかし、受刑者の著作物の投稿は、受刑者が外部にその意思ないし観念を伝達する手段である点において信書の発信と共通の面を有すること、後に説示のとおり法が特定の外部の者との交通である信書の発信について制約を課し、殊に非親族に対する信書の発信に対しては厳格な制約を課していることとの権衡等の事情を考慮すれば、受刑者の著作物の投稿については、その性質の許す限り、信書の発信に準じて取り扱うべきものと解するのが相当である。

(三)  そこで、信書の発信に関する法の規定をみるに、法は、信書の発信につき、四六条二項が受刑者について非親族との信書の発受を原則として禁止し、例外として「特ニ必要アリト認メル場合」は発受をなしうるものとし、同条項によつて禁止されない信書についても、四七条一項が「不適当ト認メル」ものの発受を禁止することができるものとし、五〇条は信書の検閲その他信書に関する制限は命令を以て定むる旨を規定し、これを受けて監獄法施行規則(以下「規則」という。)一二九条が発信数の制限に関して定めるとともに、行刑累進処遇令(以下「処遇令」という。)六一条が同一六条一項の第四級の受刑者は親族及び保護関係者に限り信書の発送をなしうるものとし、同六二条が第三級以上の受刑者は教化に妨げのない範囲において非親族に信書を発送することができる旨を定め、同六三条は信書発送の回数制限につき受刑者の階級が上級となるとともに右発送制限が緩和されるものとし、同六六条は刑務所長が教化上その他の必要あるときは右各処遇令の規定の例によらないことができる旨を規定している。

以上の法、規則及び処遇令の規定によると、法が受刑者について非親族に対する信書の発受を原則的に禁止し、刑務所長が「特に必要と認める」場合にこれを許可することができるものとしたのは、受刑者の社会からの隔離とその改善・更生並びに監獄施設の正常な管理運営・紀律保持という前示行刑の目的を達成するためであつて、右各規定は右行刑の目的に照らし、受刑者の通信の自由に対する合理的な範囲の制限であり、憲法二一条その他の憲法の規定に違反するものということはできず、また、右の「特に必要と認める」場合とは、右行刑の目的に照らし、その処遇、矯正教化、更生、権利救済等の面あるいは施設の管理運営上支障がないかとの面から、特に必要性が認められる場合をいうと解せられるところ、右必要性の判断は、事柄の性質上、監獄の諸事情に通暁し、受刑者等の処遇等に関して専門的・技術的知識と経験を有する刑務所長の合理的裁量にゆだねられているものと解するのが相当である。しかして、刑務所長は、信書の内容、形式、名宛人の有無、受刑者と名宛人との人的関係等諸般の事情を考慮し、その裁量により発受の許否を決することができるものというべきである。そして、以上は、受刑者の著作物の外部投稿についても妥当するものと解すべきであるから、刑務所長は、受刑者の外部投稿について、その処遇、矯正教化、更生、権利救済等の面あるいは施設の管理運営上支障がないかとの面から、特に必要と認められる場合は、その裁量によりこれを許可することができるものと解するのを相当とする。

(四)  そこで、本件不許可処分において、被告が法四六条二項但書の「特に必要ありと認める」べき場合に当たらないとしたことに裁量権の濫用・逸脱があつたか否かにつき検討するに、先に判示した事実に加え、前掲乙第四号証、いずれも成立に争いのない甲第五、第六号証、乙第五号証、証人大淵朋彦の証言により真正に成立したものと認められる乙第六号証、同証人及び証人松野昭治の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、(1)霧生企画は、昭和五九年六月ころから隔月に六回ワーラーを発刊し、主として投稿された評論をこれに掲載していたが、採算が取れないため、同六〇年五月以降休刊中であり、再刊の見通しはなく、休刊後は外部投稿を受け付けておらず、現在に至つていること、(2)原告は、昭和六一年六月一一日、岐阜刑務所教育課長大淵朋彦(以下「大淵課長」という。)に、霧生企画ワーラー編集部宛に原告の著作にかかる文芸作品を投稿したいとして下書き用紙の交付を出願したので、同課長は、あらかじめ投稿先を調査するため霧生企画に架電し、ワーラーの内容や投稿受付状況等につき照会し、右(1)のとおり、ワーラーが休刊中であり、再刊の見込みのないことを確認したこと、(3)その結果、被告は、霧生企画がワーラーを休刊中で、再刊の見込みもないことから、本件下書きの投稿を特に認める必要がないと判断したこと、(4)原告は、昭和六一年六月一六日、本件下書きを提出してその投稿を出願したが、本件下書きの評論部分は、原告の当時の状況説明、原告と佐木との関係とともに、岐阜刑務所当局の不当弾圧に対し裁判闘争を展開していく意思と姿勢を獄中から外部に訴えようとし、右詩・俳句部分は、殺人罪で無期懲役刑に処せられた受刑者の心情を読者に訴えたものであつたこと、(5)被告は、念のために本件下書きが外部投稿として適切であるか否かにつき、その内容に立ち入つて慎重に判断し、更には本件下書きが霧生企画の主催者霧生正博に対する信書として発信を許可することができないか否かにつき、なお、一層慎重に判断をしたこと、(6)しかし、被告は、右評論部分には、佐木に対する非難が含まれ、内容的に穏当を欠くものと判断したほか、右裁判闘争を展開する旨の記述については、原告がかねてから被告や岐阜刑務所職員が暴力団関係者と不正に癒着し、不公平な処遇をしている旨主張し、同刑務所当局に対し抗争的態度を取り続けていることから、右評論部分が発表されれば、岐阜刑務所当局に対する誤解や不信を招きかねず、施設の管理運営上重大な支障をきたすため、評論部分の投稿もしくは発信は許可すべきでないと判断したこと、(7)他方、右詩・俳句部分については、原告が、俳句、短歌のみならず、俳壇、歌壇についても相当の知識を有し、著名な俳人、歌人の創作態度に対する疑問からこれを問い質そうとして殺人を犯すに至つたものであり、本件出願当時は右犯行後日も浅く、原告が心情的に安定していなかつたことから、被告は、原告の犯行動機態様等に徴し、重大事件の契機となつた俳句や短歌について外部投稿を認めることは矯正教化上妥当でないと判断してその投稿もしくは発信を許可しなかつたこと、(8)原告は、昭和六三年三月一六日ころ、被告及び岐阜刑務所職員を職権濫用罪等により岐阜地方検察庁に告訴し、更に、原告は、法務大臣に対し、同月三一日ころ、被告らがその不正を追及されたため原告に対し不当な処遇を加えて弾圧している旨の上申書を提出して情願したこと、右告訴状及び情願の発信出願は被告においてこれを許可していること、以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、本件下書きが投稿先たる霧生企画において発刊される可能性がなかつたことが明らかであるから、被告がその投稿を認める必要がないと判断したことは、根拠を欠くものではなく、右判断が不合理であるとまでいうことはできない。

(五)  これに加えて、本件下書きの評論部分に関し、原告主張の被告や岐阜刑務所職員の不正の事実はこれを認めるべき証拠は全くないところ、右認定の事実によれば、右不正の事実があるとして抗争的態度を取り続けている原告に対して本件下書きの投稿を許可することは、原告に対し紀律の弛緩を印象づけ、右抗争的態度を助長する結果をきたし、新たな紀律違反行為の一因となりうることは十分に予想されるところであるから、施設の管理運営上支障をきたすとした被告の判断は、あながち是認できないものではない。のみならず、右投稿先が、原告が主張する被告の不正追及のための正当な関係機関ではないことは明らかであり、原告は、右関係機関にその救済を求めているのであるから、本件下書きの投稿がその権利救済上特に必要であると認めることもできない。また、詩・俳句部分に関し、本件出願当時、原告がその犯行後日も浅く、心情的に安定していなかつたことは原告の自認するところでもあるから、原告の犯行の動機態様等に徴し、その矯正教化上、その投稿を認めることは適当でないとした被告の判断は、あながち是認できないものではない。以上の事実からすれば、本件出願について、法四六条二項但書の「特ニ必要アリト認ムル場合」に該当する事実を認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

以上のとおりであるから、本件出願を不許可とした被告の本件不許可処分について、裁量権の濫用・逸脱による違法があるということはできない。

3  次に、原告は、本件不許可処分に理由が付されていなかつたのは違法である旨主張するので判断するに、本件不許可処分の際、被告が本件下書きの投稿は許可しない旨を告知し、その具体的理由を告知していないことは当事者間に争いがない。

ところで、監獄法令上、信書の発受に関する処分については、書面によるべき旨を定め、または、右処分に関し、その理由を記載し、もしくはこれを告知すべき旨の明文の規定は存しないところ、右処分に関しては、事柄の性質上、個々の信書発受の出願に応じて臨機応変に対処する必要があるところから、法は、刑務所長が、先に述べた行刑の目的等に照らし、処分の理由を告知するか否かをその合理的裁量により決することができるとしたものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、証人松野昭治の証言及び弁論の全趣旨によれば、岐阜刑務所においては、受刑者に対し、職務上もしくは職務外において、職員が知り得た刑務所外の事実等について、先に述べた行刑の目的から、受刑者に告知しない例であり、右事実が信書の発受に関する処分の理由となるものであつたとしても同様の取り扱いをしていることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

以上の事実によれば、被告は、本件において、他の例と同様の取り扱いをしたにすぎず、被告が原告に対し、本件不許可処分を行う際、その具体的な理由を告知しなかつたことの一事をもつて、右処分が違法であるということはできず、他に原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

4  また、原告は、本件不許可処分が著しく遅延し、差別的取り扱いがなされたものであつて違法である旨主張するので判断する。

(一)  本件不許可処分が、本件出願のなされた昭和六一年六月一六日から約四〇日を経過した同年七月二五日になされたことは当事者間に争いがない。

ところで、規則一三六条は、監獄における信書の検閲、発送及び交付の事務がなるべく速やかに行われるべきことを定めているが、受刑者の発受する信書の検閲は、先に述べた行刑の目的に照らし、その内容において、受刑者の改善・更生並びに監獄施設の管理運営上支障がないか否かの検査のほか、名宛人の確認、秘密通信文等の有無の検索等、信書の内容上、及び形式上の面において可能な限り慎重かつ厳格にこれを検査することが要請されることはけだし当然である。

そして、受刑者の信書の発信手続において、右手続に関与する監獄職員が検閲の結果、不適当な部分の存否の認定の困難や不適当な部分の書き直しの指導等の事由により、受刑者が提出した信書の発信が結果的に遅延したとしても、発信遅延を是認しうる相当な理由がある場合には、右発信遅延を違法となしえないものといわなければならない。

(二)  そこで、これを本件についてみると、ワーラーが休刊中であり、再刊の見込みがないこと、及び被告が昭和六一年六月一一日、右事実を確認し、本件下書きの投稿を認める必要がないと判断していたことは先に判示したとおりであり、右事実によれば、被告が本件不許可処分を行うまで約四〇日を要したことはいかにも処分を延引したとの感を否めないものであるものの、他方、被告の本件下書きの投稿ないし発信の可否の検討の経緯及び判断、原告の岐阜刑務所当局に対する抗争的態度等は先に判示したとおりであり、右事実によれば、本件下書きには、その内容上、投稿もしくは発信を許すことが不適当と判断される部分が少なくなく、かつその判断が必ずしも容易なものとはいえないこと、及び被告は、ワーラーが休刊中であることから、本件下書きが著作物であるか信書であるかの判断を迫られたうえ、本件下書きの内容を検討し、慎重に外部投稿の可否につき判断を加え、更に信書としての発信の可否についても慎重に判断したこと、原告は、本件不許可処分が成されるまでの間に右期間の延引の違法を主張して不作為の違法確認の訴え(行政事件訴訟法三条五項)を提起することが可能であつたのであつて、本件不許可処分を取り消さなければ原告の権利救済の途に欠けるとまではいうことができないこと、仮に、本件不許可処分を右期間の延引の違法のみを理由として処分を取り消すとすれば、本件においては、かえつて、本件不許可処分と同一内容の処分が繰り返されるに過ぎないという不都合な結果を生じせしめることになりかねないことを認めることができ、右事実に照らすと、被告が本件不許可処分を行うまでに前示日数を要したとしても、これをもつて処分を取り消すまでの違法があるとまで断言することはできず、また、原告主張のごとく、被告が差別的取り扱いをしたと認めるに足りる証拠もない。

三  以上の次第であるから、被告の本件不許可処分には、原告の主張する裁量権の濫用・逸脱はなく、他にこれを違法とするような事情を認めるに足りる証拠もない。

よつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川端浩 柄夛貞介 足立謙三)

別紙

作品目録

一 「国家権力の中に在つての文学活動としての思想についての考察」と題する評論

二 「詩、句アンサンブル構成による獄窓裡の想念、獄窓一九八六年四月十五日」と題する詩

三 「十七文字型式による獄窓春夏秋冬」と題する俳句

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